一昨日の都賀川の事故について、ブログにメールでご意見戴きました。
都賀川の事件は危機管理が全くなっていない。
あの川は水力発電所の導水管と同じで水圧を高めるように設計されている。あのような人達が学童保育とかをやっているのは全く信じられない。
この件は未必の故意による殺人罪が適用されても不思議ではないだろう。ちょっと過激かな。
メールを頂いて、ネットで調べてみましたが都賀川がそのように設計されていることは分かりませんでした。
しかし、30年ほど前から川の清掃活動や親水公園化が進み、市民特に親子連れなどに親しまれている川であることはすぐ分かりました。
堰き止めプールなどもあり、猛暑のこの時期に子ども達が親がそばに居なくても遊べるような環境をつくっています。
親水公園の整備は今でも盛んにこの川ではされているそうです。
神戸一体に大雨と洪水警報が1時55分に発令されているのです。
なぜ、すぐさま川遊びを止めさせる直接の呼びかけや、危険を知らせる警報を出さなかったのか、不思議でなりません。
直接の呼び掛けや警報があれば、2時40分の事故は防げたはずです。
今まで無かった「想定外の事態だ。」そんな言葉ですむ問題では全く無い。
未必の故意による殺人は極端にしろ、それに近い状況があると私も感じました。
看板や危険のお知らせパンフだけで他の安全対策を講じて来なかったのであれば、その責任は追及されるべきだと思います。
2 件のコメント:
芦屋・神戸は山が迫っているので、大雨があれば短時間で水勢は直ぐに橋桁を洗うまでになり、多くの命が失われてきました。河床には急な流れに対する措置が施されていますが、水量は減らすことはできません。
若い保母さんたちに、神戸の川の恐ろしさを語り継ぐ人がいなかったのですね。そのことが残念でなりません。
地域に住む人々が、「話すこと」「伝えること」をしなくなれば、また同じ悲しいことが繰り返されます。
その事は、行政の怠慢でも責任でもありません。
管理者が管理責任を問われるのは当然です。
しかし、グランドキャニオンには転落防止柵はない。阿蘇の火口にも柵はありません。
私達は一生を通して自分の命は自分で守り、行政はあまねくそれをサポートしているにすぎません。
常に要求し、追求し続けるのは本来の姿ではありません。
基本はヒトの知力にかかっています。そうでなければ、行政が誕生する以前にヒトは死滅しているはずです。
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